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 『ララ・フェスタ家の年代記』 

コインブラ再訪

(c) IMC Games Co., Ltd. Published by Hanbit Ubiquitous Entertainment Inc.

1533年10月17日、ララ・フェスタ姉妹は港町コインブラに到着。
以後しばらく、この地を拠点とすることになる。

この時期、コインブラ周辺は問題が山積していた。
4.3事変以降封鎖されているテトラ大遺跡の盗掘。
船の墓場ポルトベルロでの怪物の異常発生。
移民の多様化に伴う共和思想への傾倒。
これらの問題を解決するため、新大陸拓殖株式会社は多くの開拓家門をコインブラに呼集した。
そのため、下宿からあぶれた家門が漁船に寝泊まりする姿も見られた。
幸い、ララ・フェスタ家はカフェ「セイウチ」の2階に部屋を見つけることができた。

10月22日、バレアレス広場にて、新大陸拓殖株式会社コインブラ支部長のヌネズ提督が演説を行った。
参集した開拓家門は100を越え、広場は人であふれかえったという。
ヌネズ提督は得意の冗談を交えながら、開拓者を歓迎し鼓舞した。
その日、開拓副官の元には仕事を求める開拓家門が殺到、行列を作った。
グラナド・エスパダ開拓全盛期の風景がここに見られる。


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 『ララ・フェスタ家の年代記』 

論功行賞

(c) IMC Games Co., Ltd. Published by Hanbit Ubiquitous Entertainment Inc.

ディロスラテム討伐隊に参陣した30余りの開拓家門には、それぞれ武勲に応じた報酬が女王陛下より下賜された。
ララ・フェスタ家は5,000visを賜ったが、これは最も低い金額だった。
しかし、彼女たちにとってこれは大きな一歩となった。
新大陸拓殖株式会社の仕事を請け負うということは本国や女王陛下の目に留まる可能性もある。
この頃、カレン・ララ・フェスタは、第二第三の「開拓王」となって本国に招聘されることを狙っていたと思われる。

報酬の授与が終わると、ララ・フェスタ家を含むいくつかの開拓家門が別室に招かれた。
先の勲功に関係なく集められたようで、彼らは一様に首をひねった。
だが、理由は明快だった。
共和派や明らかな共和思想の持ち主が除かれていたのだ。
あとから入室したリンドン男爵は挨拶もそこそこに、彼らにコインブラへ向かうよう要請した。
路銀とコインブラ支部への推薦状を用意するという好条件だった。

カレン・ララ・フェスタは更なる好機と捉えていた。
一方、ユキノ・ララ・フェスタは新大陸拓殖株式会社の在り方に疑問を抱き始めていた。


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 『ララ・フェスタ家の年代記』 

ディロスラテム討伐隊

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1533年10月10日早朝、開拓支援本部の布告によりディロスラテム討伐隊が集結した。
アル・ケルト・モレッツァに出没する亡霊ディロスラテムは、当時のリボルドウェとその開拓民たちにとって大きな脅威となっていた。

討伐隊の陣容は、兵卒2個中隊、自警団1個分隊、開拓家門約30家、総勢400名余り。
ララ・フェスタの姉妹もそこに名を連ねた。
その数は皮肉にも、1528年の反乱に際し、生きたディロスラテム一党を討伐した軍勢よりも多い。

出陣式は開拓支援本部長リンドン男爵臨席のもと執り行われた。
討伐隊は午前中にリボルドウェを進発、採石場、フェルッチオ・ジャンクションを経て、アル・ケルト・モレッツァへ侵攻した。


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 『ララ・フェスタ家の年代記』 

開拓家門

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1533年9月、カレンとユキノのララ・フェスタ姉妹は新大陸に上陸。
コインブラから馬車で一日の道程を経て、リボルドウェへ向かった。
この頃、レコンキスタ勅令に従い渡航した家門はすべてリボルドウェに送られていた。
ベスパニョーラ以外からの移民が多いコインブラでは新大陸拓殖株式会社や本国にとって都合が悪かったためと言われている。

リボルドウェに到着したララ・フェスタ姉妹は開拓支援本部長のリンドン男爵と面会。
オポルト系ではあったものの、父を3年戦争で亡くしていることから待遇はよかったという。
各種許認可を得て、たったふたりのララ・フェスタ家は開拓家門となった。

このとき、女王陛下から下賜されたのは、開拓許可と、剣一振り、小銃一丁だけだった。


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 『ララ・フェスタ家の年代記』 

渡航前夜

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1520年、3年戦争に従軍していた騎士レオン・ララ・フェスタが戦死。
まだ幼い長女カレンが当主を継承した。
しかし、後見人を名乗る親戚によってララ・フェスタ家は領地と財産の多くを失った。

1523年、エスペランサ女王によるレコンキスタ勅令発布。
幼き当主は家門再興を新大陸開拓によって果たすことを誓う。

1532年、王都の士官学校を中退した、カレンの妹ユキノが帰省する。
姉カレンの新大陸行きに気づいてのことだった。
この頃、王党派支援を目的として、女王から開拓家門への援助が約束されていた。
カレン・ララ・フェスタはそれに目をつけていたのだった。

1533年、最後の財産である屋敷を売り、カレンとユキノは新大陸を目指した。
第3文明エラクの発見に沸き、新大陸の開拓活動は加熱する一方だった。

こうしてララ・フェスタの姉妹は新大陸グラナド・エスパダに渡った。
オルペシア暦1533年初秋のことだった。


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